幼い頃より両親からは生活上の様々な作法を教わったが、なかでも印象に残っているのは「書物を大切にせよ」ということだった。私の家は江戸時代末創業の和菓子屋(*2015年末廃業)で、学校教師のように知識を扱う職業でもなければ、作家のように物を書くことを専門とする生業でもなかった。しかし、文字や書物は尊いもので大切に扱わねばならぬという教えは徹底していたように思う。
書物に足を向けてはならず、寝る時には常に頭がある側に置かねばならない。地べたに置くのはもってのほかだ。机の上に置くのが基本だが、止むを得ず床や畳の上に置かねばならないときは、紙や風呂敷などの敷物の上に置かねばならない。
物心ついた頃からこのような生活を繰り返していると、文字が書かれた物が尊いものであり、丁寧に接しなければならないものだという心構えが、何となく育ってくる。本や漫画、日記や手紙など、読み書きするあらゆるものに対する態度が整ってくるのである。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、この頃に身に着けた習慣は大人になった現在でも失われていない。書物を大切にしなければならないという気持ちは常に生きており、今でも足が向く側に書物を置くことはできないし、汚れたり角が折れたりしないように風呂敷に包んで持ち運ぶようにしている。まがりなりにも言葉と知識を扱う職業に就いているからには、人類の叡智の結晶である書物は子供の時以上に大切にしなければならない。そういう思いが強くなっている。
言葉というのは不思議なもので、精神の産物でありながら、文字としてこの世界のどこかに刻まれることで物質性や場所性を帯びるようになる。先程私は、書物を大切にする心が子供の頃の習慣から芽生えたと話したが、この心の芽生えは家の空間に対する特殊な認知方法の発達と連動していたと思う。江戸時代に建てられた家には独立した子供部屋は存在しなかった。遊ぶ場所も学ぶ場所も寝る場所も、常に八畳一間の仏間で繰り広げられる。そういうわけだから、何をするにも仏壇が目に入る。先祖に常に見られているような気がして悪いことができないし、仏壇に立てられているお経や戒名の文字には絶対に足を向けられない。書物を大切にしなさいという教えにしたがって生活することで、いつの間にか家の中に聖と俗の境界、死者と生者の関係も出来上がっていて、それが家という空間をどのように認知するかということに少なからず影響を与えていたように思う。
故郷の中で私が最も宇宙的なものを感じる言葉がある。その言葉は、先祖の墓がある山間の禅寺に刻まれている。禅宗の寺ではあるが、古くは真言宗とも縁があり、寺の門の前には弘法大師の石像がある。その石像の台座に「三界萬霊」という四文字が大きく刻まれている。幼い頃より先祖の月命日に父とこの寺を訪れ、そこかしこに書かれてある仏語や仏教に因んだ小話を読むのが楽しみだった。なかでも三界萬霊の四文字は私の心に強く印象付けられている。この四文字の前に立つ度に、私はその中に大宇宙の響きと、その中で幾度となく流転を繰り返してきた有情の魂の歴史の長大さを感じるのだ。今でも帰省する度に寺を訪れ、石像の前でこの四文字を眺めながら自身の生の過去・現在・未来、そして先祖や郷里との関係について思いを巡らせるのが習慣になっている。
情報化社会の急速な発展で、今では様々な文書が電子化されオンラインで閲覧できる時代になっている。文字はそれが刻まれるマテリアルな媒体から離れ、情報データとして電子空間に集積されるようになった。現代人の読書術や読書体験は大きく変わり、それに応じて書物や文字に対する態度も変わるだろう。
電子化された文字は、もはや日々の生活の中で身体的接触をもたらすものではなくなっている。それは日常生活における聖と俗の境界、頭や足といった身体的位置関係から離れ、脱物質化され、場所性を失っている。そのような文字は、人間の身体を包む世界という「肉」(メルロ=ポンティ)に意味や歴史を刻み、その宇宙的次元を開示する魔術的力を失っているのではないだろうか。
仮にこのまま電子空間における文字の集積が進み、文字の物質性と場所性が根こそぎ失われたとしよう。その時、我々に「書物を大切にする心」は残っているだろうか。もしその心が失われたとき、人類社会にどのような変化がもたらされるだろうか。そこにはかつて口承文化から文字文化への移行が起こった時と同じくらいの認識論上の大転換が待ち受けているように思われる。
これは、今後の研究で考えていきたいテーマのひとつである。
中野佳裕
2022. 1. 27.