
7月16日に小生が手掛けた新しい訳書『環境地政学』(白水社クセジュ文庫)が刊行されます。
著者はフランスのパリ政治学院国際学研究所の博士研究員アドリアン・エステーヴ(Adrian Estève)。国際関係論が専門で、特に構成主義/批判理論の立場から、国際環境ガバナンスのネットワーク形成の力学を研究しています。
本書は彼の専門研究分野のひとつである環境地政学の最先端の問題群をまとめた一冊で、パリ大学出版局の新書シリーズ(Que sais-je?)から刊行されました。環境ガバナンスをめぐる学術的議論や国際社会の動向を網羅的に整理しており、専門研究者だけでなく、この分野に関心のある初学者にとってもアクセスしやすい内容となっています。
序章で提示されている通り、本書の目的は、地球環境問題をめぐる地政学的課題を国際関係論の先端的議論を踏まえて整理・検証することにあります。その際、2012年の地球サミット(リオ+20)以降、国連においても注目されるようになった人新世(アントロポセン)をめぐる議論に焦点を当ています。そして国際関係論における環境ガバナンスと人新世の研究との間にあるギャップを埋めるために、著者は次の2つの問いを掲げ、それらに応答する形で本書を執筆しています。
問1:国際関係論における諸概念は、人新世に対するわたしたちの理解をどのように深化させるのか?
問2:人新世をめぐる議論は、アクターの実践や議論を国際的規模でどのように再編するのか?
本書は序章と終章を除いて全6章で構成されています。内容から言って1~3章を第1部、4~6章を第2部と分けて読むことができるでしょう。
第1部は国際環境ガバナンスの諸問題を、環境地政学の研究史を踏まえながら同定していきます。環境地政学の研究史を網羅的に整理する第1章では、本書で著者が採用する構成主義/批判理論アプローチの立ち位置が明らかにされます。続く第2章は、人新世の科学的言説の中で影響力のある地球工学(ジオ・エンジニアリング)の諸潮流を、思想史と政策史の両側面から整理しています。第3章は、国連を中心とする国際環境ガバナンスのレジーム形成の歴史と諸問題群についてまとめています。
1~3章で国際環境政治のアクチュアルな問題群を洗い出した後、第2部(4~6章)では、各章で国際関係論の基礎概念の問い直しを行います。まず第4章では権力(パワー)概念が、続く第5章では安全保障概念が問い直されます。著者は従来の国際関係論では、地球生態系や人間以外の存在(ノン・ヒューマン)が考察の対象にならなかったことを指摘します。そして人新世の視座から国際関係論の再フレーミングを試みる英国やカナダの研究者の著作に触れながら、「生態学的権力」「エコロジー安全保障」などの新しい概念を紹介します。
第6章では、人文社会科学における人新世研究の主な思潮(資本新世、プランテーション新世、男性(アンドロ)新世)を紹介しながら、これからの環境地政学の諸課題を同定していきます。これら3つの思潮は、それぞれ資本主義批判、植民地主義批判、家父長制批判(フェミニズム)に対応しており、今後、これら3つの軸からどのようなアクターや社会闘争が出現しうるかを考察するのが、環境地政学の新たな課題となると、著者は締めくくっています。
今回の翻訳の企画は、出版社からの依頼で引き受けましたが、訳者の研究する脱成長運動やトランジション・デザインを、グローバルかつプラネタリーな歴史/政治の中で考察する際の手引きとなると思いました。
COVID-19のパンデミックからウクライナ戦争、そしてイスラエルによるパレスチナや中東地域への攻撃、その中で進行する気候変動の加速化・・・。不安定化する国際関係と地球生態系の現実に日々直面する中で、脱成長運動や脱開発論が掲げるエコロジー・トランジションや多元世界デザインに、地政学や国際政治の力学の分析が不足していることに何年の間も苛立ちを覚えていました。
本書の訳業を通じて、脱成長やトランジション・デザインを考察する際の新たな視点を手に入れたような気がします。
中野佳裕
2025. 7. 11.