消費社会に対する四つの問い━私の学問の原点

正月休みの間、少し自分の学問上の問いを整理してみた。

  1. 技術━どうして現代社会は、手仕事の技術と身体性、それらが育む生業の精神と生活の型を失ってしまったのか。
  2. 風土━どうして現代社会は、生活の場から風土の感覚、風土の中で生きる身体を失ってしまったのか。
  3. 言語━どうして言葉は、生命・事物とのつながり、隠喩としての響きと色彩を失い、単なる情報として消費されるようになったのか。
  4. 宗教━どうして現代社会はかくも世俗化し、縁起への深い省察、霊性への志向を失ってしまったのか。

私が脱成長に関心をもつようになったのは、幼少の頃より消費社会に対して何かしらの違和感を抱いていたからだ。その違和感を言語化できるようになったのはもっと後のことで、研究者として自分の専門研究分野を確立してからのことだ。

既に『カタツムリの知恵と脱成長』(コモンズ、2017)において、私の学問の出発点には資本主義経済の商品化の論理への問いがあると述べている。この問いを探求するために言語学の視座から経済を考えてみたのが、ラトゥーシュの著作との出会い、そして現在の研究へとつながった。同書刊行後、研究と思索は進み、今では上述の四つの問題領域に整理して問いを立てるようになっている。四つの問いはすべて故郷の生活経験から獲得したものだ。それだけに私の研究は、自らの人生を導く〈道〉の模索でもある。

近年、脱成長に関わる研究分野では関係的存在論(relational ontology)に立脚した社会デザインが議論されている。議論の対象となる関係性は、社会関係資本から物(自然物、人工物)との関係まで多岐にわたる。その中にあって私が探求したいのは、消費社会の中で屡々周縁化された文化的次元の関係性である。それを問題領域ごとに整理すると、技術・風土・言語・宗教ということになる。

以上4つの問いにもう一つ加えるものがあるとすれば、それは「時間」だろう。しかし今のところ時間への関心は、風土の中の問題群の一つとして、すなわち場所に刻まれた「時間の地層(時間存在)」の問題として扱うか、あるいはベルグソン的な純粋持続の問題(空間化されない時間)として考えている。両者は哲学的に随分と異なる次元の話で、それだけでもきちんと整理しなければならないのは、十分承知の上であるが・・・。時間を独立した問題領域として扱うかどうかは、研究がさらに進むにつれて明らかになるだろう。

中野佳裕

2022. 1. 19.