書写の楽しみ

今日は天候が悪いため、部屋で独り、空海の「般若心経秘鍵」や親鸞聖人の『教行信証』を書写して楽しむ。普段から持ち歩く便箋や原稿用紙に筆や文字ペンで書写するのであるが、無心になって文字に集中し、筆先を払い、跳ね、止めるその一刹那、一刹那の濃密さは、何ものにも代えがたい円満の時刻である。ただ書物を読むのとは一味違う、文字との身体的繋がりが現れる。

小学三年生の頃、両親の勧めで般若心経を毎晩書写していたことがある。当時の私は落ち着きがなく、飽きっぽい性格で、文章を書けば字も躍っていた。両親からしてみれば、達筆とまではいかなくとも、せめて丁寧に書く癖を身につけさせたかったのだろう。最初はなかなか集中できなかったが、繰り返していると次第に面白くなり、結局、一年近く続けたと思う。一時期、お経を諳んじることもできていた。

今でも季節の折々に時間を見つけては、和歌や仏典の書写を楽しんでいる。古の優れた文章を書写することで、文字の不思議な力と音律に触れ、心も整い、集中力も増す。何よりの娯楽である。

最近は、スマートフォンやタブレットの普及で若い世代に文字を書く習慣が減っているとも聴くが、書写の楽しみは後世に残していきたいものである。

ちなみに、書写の時は畳の上に正座が基本。丹田と仙骨が安定し、その上にまっすぐ心が立つ感覚がするからだ。椅子ではどうしても落ち着かない。読書の時も、文章を書く時も然りである。

中野佳裕

2022.02.13.