Yoshihiro Nakano のすべての投稿

研究者。PhD。専門は社会哲学、開発学、平和研究。社会発展パラダイムを問いなおし、持続可能な未来社会を構想するコミュニティ・デザイン理論の研究を行っている。脱成長、脱開発、トランジション・デザインがキーワード。 Researcher: Areas of specialization are social philosophy and critical development and peace studies. Working on community designing in line with the ideas of degrowth, postdevelopment and transitions design.

未来をどのように描くか──脱開発/脱成長の最前線に学ぶ

2019年12月4日ー12月6日まで、早稲田大学グローバルアジア研究拠点の企画でメルボルン大学(当時)のエリーズ・クライン(Elise Klein)博士を招聘し、脱開発/脱成長の最前線の動向について3日間のワークショップを行った。

クライン博士は、ベネズエラ出身の同僚のカルロス・エデュアルド・モレオ(Carlos Eduardo Morreo)(オーストラリア国立大学)とPostdevelopment in Practice: Alternatives, Economies, Ontologies (London: Routledge, 2019)という編著を出版した。同書は世界各地の脱開発/脱成長の理論と実践を思想史、社会理論、コミュニティ経済、芸術文化運動などの分野から多角的に紹介した本であり、アルトゥロ・エスコバル、グスタボ・エステバ、トニー・フライ、フェデリコ・デマリアなどこの分野の著名研究者が寄稿している。小生も日本の脱成長論の系譜と現代的可能性を検討する目的で、玉野井芳郎の地域主義に関する論文を寄稿した。

今回の来日企画では、同書の内容に基づきながら、新自由主義政策が推進してきたグローバル資本主義の構造的問題を克服し、持続可能な未来へと移行するための「トランジション・デザイン」のシナリオについて意見交換を行った。以下は、12月6日(金)の市民向け公開講座で話された内容を紹介する。報告は小生との対談形式で行われた。

前半の報告で、クラインは資本主義の限界が北側諸国と南側諸国の両方で顕在化しているという現状認識を紹介した。なかでも先進工業国の持続不可能な拡大成長型経済が、地球規模の問題を引き起こしていることを強調。地球温暖化、賃金労働制の崩壊、それにともなう格差拡大と生活の不安定化(例:ギグ・エコノミーの台頭)を検討した。

後半の報告では、現状をどのように変えていくかという課題について、脱開発/脱成長の最前線の議論に触れながら議論した。クラインは、まず何よりも重要なのは、社会進化の物語を変えることであると主張する。経済成長や近代の際限なき進歩という思想を超えて、新しいストーリーを語る必要がある。そのためには私たちのイマジネーションを、経済中心の思考から解放しなければならない。

第二に、J.K.ギブソン=グラハムの「多様な経済(diverse economies)」研究に触れながら、資本主義経済は唯一の経済的現実ではないこと、互酬性など、市場メカニズムの外部にある様々な異なる経済活動に注目し、それらを再評価する必要があることを主張。クラインは特に、人間同士および人間と人間以外の生き物との関係を再構築する「ケアの倫理」が脱開発/脱成長型コミュニティ経済の基礎となると強調した。

報告終了後は、東日本大震災の被災地の一つである宮城県南三陸町で女性主体のコミュニティ経済活動を行うNPOワーカーや他の被災地域で活動する参加者と、現場での経験を踏まえたディスカッションを行った。最後には、近代の経済学の合理主義的伝統を超えて、感情や身体感覚の役割を重視する臨床的な社会科学研究を探求していく必要性について意見交換を行った。

脱開発/脱成長型トランジション・デザインの要点

  1. 社会進化の物語を変える
  2. わたしたちのイマジネーションを豊かにする
  3. 非資本主義的な経済活動を再評価する
  4. ケアの倫理を発達させる
  5. 人間中心主義を克服し、人間以外の生き物との関係の回復へ
  6. 感情、身体感覚、環境の微細な変化を感得する臨床的な社会科学研究を行う

2019年12月7日

 

私たちの星で・・・

梨木香歩さんと師岡カリーマさんの往復書簡集『私たちの星で』(岩波書店、2017)。グローバル化が行き詰まり、分断が深まる世界の中で、ハイブリッドな背景をもった二人の女性作家が他者理解と多文化共生の展望を探る・・・。
 特に印象に残っているのは、師岡さんが「日本は受け身で外国の文化を受け入れていた時代のほうが創造的だった。海外に積極的に発信しようとしている現在はどこか貧しく見える」(筆者要約)と述べているところ。子供のときに見た、言葉少なに毎日ものづくりや漁に励む故郷の人々のことを思い出す。日本の姿を伝えられるのは学者や知識人ではなく、地域に根差して生きるこれら「忘れられた日本人」ではないだろうか。
2019年11月28日