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研究者。PhD。専門は社会哲学、開発学、平和研究。社会発展パラダイムを問いなおし、持続可能な未来社会を構想するコミュニティ・デザイン理論の研究を行っている。脱成長、脱開発、トランジション・デザインがキーワード。 Researcher: Areas of specialization are social philosophy and critical development and peace studies. Working on community designing in line with the ideas of degrowth, postdevelopment and transitions design.

アマゾンのアンチゴネ Antigone in the Amazon

フランスの地方都市アヴィニョンで開催中のアヴィニョン演劇祭(2023. 7. 6.-7. 26)で話題になっているのが、スイスの劇作家ミロ・ラウ(Milo Rau)の手による新作劇「アマゾンのアンチゴネ(Antigone in the Amazon)」である。古代ギリシャの劇作家ソフォクレスの作品「アンチゴネ」を21世紀のアマゾンを舞台に蘇らせたもので、肥大化する資本主義によるアマゾン熱帯雨林の森林破壊がテーマになっているという。2023年7月18日付の仏ルモンド紙でも特集が組まれている。

ミロ・ラウが本作品の着想を得たのは、2018年に制作した作品「La Reprise」の上演のために訪れたブラジルでのこと。現地の「土地なし農民の運動(Movimento dos Trabalhadores Rurais Sem Terra=MST)」のメンバーから作品を一緒に作りたいと要望を受けたことがきっかけで、古典作品の「アンチゴネ」を現代的に変奏する着想を得たという。

土地なし農民運動(MST)は、農地の公正な分配を求めるブラジルの社会運動体である。1996年、アマゾン国立公園を擁するパラー州で進行中だった高速道路建設計画に反対していたメンバーが機動隊によって殺された。ルモンド紙のインタビューでこの劇作家は、アンチゴネとMSTを重ねて次の様に答えている。「アンチゴネは資本主義国家に対する闘争と土地をめぐる悲劇であり、抵抗の象徴です。土地なし農民運動に関する演劇作品の中で彼女(アンチゴネ)が現れるのは、当然のことです」。

国家に対する抵抗を描くこの古典劇が現代世界の権力批判として注目を浴びるのは、小生が知る限りではこれで二度目である。一度目は、米同時多発テロ(2001)からイラク戦争(2003)の時期である。当時の米国政府は「テロとの戦争」の名の下でアフガニスタンやイラクを侵攻し、愛国者法(Patriot Act)を制定して厳格な移民規制を行うと同時にテロリストとの繋がりがあると疑われる人物を国外に追放した。米国社会は監視社会化し、大学をはじめ学問や言論の場は委縮した。当時の私は英国の大学院に留学していたが、米国の批判的国際政治学者の中には、言論と学問の自由を求めて英国の大学に移籍する人々も少なからずいた。

この時期、アンチゴネは国家の法規範に対する異質性や単独者のアレゴリーとしてジュディス・バトラーやジョアン・コプジェクなどのフェミニスト理論家によって再評価され、英語圏の批判理論研究者たちの間で「政治的なるもの(the political)」や市民的不服従を再考する重要な参照点となった。

そして二度目は、ミロ・ラウが手掛けた「アマゾンのアンチゴネ」である。今回の作品では、アンチゴネが語られる舞台は「テロとの戦争」から「地球環境破壊」へと転換した。しかし両者は、開発とグローバリゼーションが行き詰まった今世紀最初の四半世紀の時代精神━━シェイクスピア作品の有名な言葉を借りるならば、「時代/時の箍が外れてしまった(Time is out of joint)」感覚ないしは一般的状況━━を分有していると言えるだろう。「経済ジェノサイド」は気候変動、パンデミック、戦争、生活コストの危機など様々な姿となって現れている。アンチゴネの亡霊は幾度も再来し、これらの危機の中にある暴力と抵抗の諸相を照らし出すだろう。

「アマゾンのアンチゴネ」ーー日本での上演を是非、期待したい。

中野佳裕

2023. 07. 19.

人新世の社会デザイン学概論

今年度の仕事上での新しい出来事といえば、所属する大学院博士前期課程の「グローバル・リスクマネジメント演習」の一つとして、新科目「人新世の社会デザイン学概論」(春学期)を担当したことだ。

同科目の目的は二つある。第一に、「人新世(the Anthropocene)」をめぐる国際的に重要な研究を追いかけながら、現代世界が直面するグローバルリスクの複雑性を理解すること。第二に、対案として現れている社会デザイン・シナリオの諸潮流を整理・検討することである。

扱うトピックは自然科学から人文社会科学まで幅広く網羅し、各回では英語で出版された重要論文を読むことにした。例えば人新世に関しては、その科学的言説の代表であるPaul Crutzenの論文(e.g. Geology of Mankind, 2002)に始まり、Planetary Boundariesに関する代表的論文、不安症(e.g. climate anxiety, eco-anxiety, ecological grief)やウェル・ビーイング(e.g. planetary health)に関する重要論文などを扱った。いずれも近年の国際機関の報告書や科学誌において基本書として引用されることが多い論文である。

これら人新世の多様な問題群を把握したうえで、次に読んだのは開発とグローバリゼーションの構造を批判的に検証する研究である。例えば、国連「持続可能な開発」の政策言説の形成史を扱った論文、グローバル・フード・システムの政治経済学を検証する論文、COVID-19パンデミック下で深刻化した不平等について扱ったOXFAM報告書などがそうだ。これらの論文・報告書の読解を通じて、「緑の経済(Green Economy)」を軸に構築される「ビジネス・アズ・ユージュアル(Business as Usual)」の社会デザイン・シナリオの矛盾について理解を深めることができた。

最後の数回で扱ったのが「トランジション・デザイン(Transition Designs)」と呼ばれるオルタナティブな社会デザインに関する論文である。例えば、アグロエコロジーの理論と実践を、 幸福度と社会関係資本を高める公共政策デザイン、 脱成長(décroissance)の国際的研究動向をまとめた論文、フェミニズムの視座から「公正な文明移行」を提案するUNWOMENの報告書などである。

この演習の最大の焦点は、人新世をめぐる諸言説が社会デザインの理論的枠組みをどのように再フレーミングするかという認識論的問題である。本演習では便宜上、プラネタリーな危機の加速化に対する反応として「ビジネス・アズ・ユージュアル」と「トランジション・デザイン」の二つの社会デザイン・シナリオの思潮を比較検討した。各シナリオは異なる経済・科学・技術パラダイムに立脚しており、そこから導き出される問題の捉え方も異なれば、対案も大きく異なる。したがって各シナリオが提案する公共政策の妥当性と可能性を検討する際には、政策の根底にある思想的土台を明らかにしながら議論を進めていった。

人新世というトピックは領域横断的な知を必要としている。各分野で提供される概念は異なる解像度を有しており、それらを繋ぎ合わせて「Planetary-Global-National-Local-Body-Mind」ないしは「humans-nonhumans」の重層的な連関を理解するのは骨が折れる作業だ。社会デザインというだけに、最終的にこれら多様な問題群を制度や公共性の議論に落とし込めるのがポイントとなる。

今年度初めての試みであったが、大きな学びがあった演習だった。「人新世の社会デザイン学概論」ーー今後も探求していく価値のあるテーマだ。

中野佳裕

2023. 07. 18.


図1:プラネタリーな次元の侵入(作成者:中野佳裕 *講義資料より抜粋)


図2:社会デザイン学の新たな問題群(作成者:中野佳裕 *講義資料より抜粋)