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コロナ危機とグローバルな複雑性

この度、岩波書店の雑誌『世界』編集部から依頼を受け、コロナ危機に関する論考を執筆する機会を得ました。

執筆の際に気を付けたことは、コロナ危機が生じる背景にあるグローバル化の歴史的流れとそれによって創発した複雑なシステムについて、限られた紙幅で可能な限り網羅的に整理することでした。

しばしばマスメディアでは、今回の感染症とそれにともなう様々な事象の「新しさ」が強調されています。しかし、開発とグローバル化の歴史を研究する立場から見ると、今回の感染症によって顕在化した社会的・経済的・政治的・環境的危機の要素は、パンデミック発生以前からグローバル消費社会の中で長年蓄積されてきたものが多い。そこで、次のような問題に焦点を当ててコロナ危機について考えてみました。

  • 過去数十年間に進化したグローバルな複雑性は、どのようなシステミックなリスクを抱えていたのか。
  • 特に、21世紀に深刻化したグローバルな格差の拡大と地球環境破壊の相互作用が、パンデミックにどのような影響を与えたのか。
  • コロナ危機が開示した格差と環境破壊の問題を克服するために、どのような社会デザインの展望が必要で、その条件と可能性は何か。

これらの問いに答えるために、これまで用いなかった社会理論を援用し、考察を深めていきました。結果的に、私自身の研究の視野も広がった気がします。

COVID-19のパンデミックはいつ終息の見通しが立つのかまだわからず、危機の連鎖反応もこれから強まっていくと思います。この状況の中から持続可能な未来を創出していくためには、複雑化したグローバル・システムに内在するフィードバック・ループを、内側から組み替えていく必要があるでしょう。

拙稿が、そのためのささやかなヒントになることを期待しています。

2020. 6. 26

*論考は、「いまこそ〈健全な社会〉へ──コロナと共に考えるトランジション・デザイン」というタイトルで、『世界』2020年8月号に収録予定です。

 

コロナ以後のトランジション・デザイン:エコロジカルな都市へ

日本では5月下旬から緊急事態宣言が段階的に解除され、新型コロナウイルスの第二波のリスクを警戒しつつも、社会経済活動を再始動する「新しい日常」が始まっている。日本政府が提唱する「新しい日常」は、マスクの着用、フィジカル・ディスタンスの維持、テレワークの推奨といった日常生活の心掛けのようなものが中心である。他方で、経済政策に関しては、旅行の推進など消費刺激策を後押ししており、既に飽和状態の消費社会から経済成長の果実をいかにして搾りだすかという発想の域を出ていないように思われる。

この状況の中で、コロナ以後を持続可能な社会への移行のための契機として、積極的に考えていくことはできないだろうか。この思索日記では、不定期にコロナ以後の時代の「トランジション・デザイン」というものを考えてみたい。

COVID-19の世界的流行の第一波は、中国をはじめとするアジア諸国、欧州各国、オセアニア、北米諸国を襲った。パンデミックが最も激しく、各国政府が封じ込め政策(ロックダウン)を実施したこの数ヶ月間の海外の新聞記事をまとめて読むと、COVID-19の影響がウイルスそれ自体以上に、環境的要因に大きく左右されていることが見えてくる。

英ガーディアン紙(The Guardian)や仏ルモンド紙(Le Monde)紙が既に3月の時点で報じているように、世界の科学者は、大気汚染を「新型コロナウイルス感染による症状悪化の重大要因のひとつである」という見解を示している(1)(2)。東アジアにおけるパンデミックの震源地となった中国武漢市と、ヨーロッパにおけるパンデミックの震源地となったイタリア北部ロンバルディア地方が、世界でも有数の工業都市であり、今回の感染症が流行する以前に、現地住民は大気汚染による呼吸器系疾患などによって、健康寿命が悪化していたことが指摘されている。

他の先進諸国でも同様であり、現在、COVID-19による感染者数と死者数が世界第一位となった米国でも、その被害は、ロサンゼルス、ヒューストン、デトロイト、ナバホ・ネイションなど、大気汚染が深刻な地域に集中していることが分かっている(3)。しかも、米国の場合、犠牲者の多くが同地域の非白人層に集中しているという点で、米国社会に長年存在する人種差別に基づく格差の問題を反映している。

この間、中国政府や欧州各国政府が強力な封じ込め政策(ロックダウン)を実施したことにより、世界の主要工業国で生産活動は停滞し、国境を越えた物流や人の移動も停止した。

ロックダウンという劇薬が与えた経済的・社会的な副作用は非常に問題である。特に、従来の新自由主義政策の犠牲者である貧困層、非正規労働者、移民労働者、小規模ビジネス、アーティストへのしわ寄せや、感染者の管理を目的に導入された監視システムの強化などは、基本的人権や市民権に基づく公正な民主主義社会の基礎を揺るがしかねないものであり、コロナ以後にさらに深刻化すると考えられる格差と監視の問題は、充分注視する必要がある。

しかし、それでもなお、ロックダウンがもたらした一つのポジティブな可能性を挙げるならば、経済活動と移動がグローバルな規模で停滞したことにより、一時的にせよ、大気汚染や水質汚染が緩和し、温室効果ガスの排出量が減少したことである(4)(5)。実際に、イタリアのヴェネチアの運河は澄みわたり、魚や白鳥が戻ってきたし、ミラノの公園ではウサギが自由に動き回り、サルディーニャ島のゴルフ場には鹿が駆け回る姿が確認された(6)。

都市環境の改善は、緊急事態宣言下の東京においても見られたことではないだろうか。私が暮らす三鷹の街でも、自動車交通量が減って空は以前よりも澄み渡り、住宅街にも小鳥のさえずりがよく聞こえるようになった気がする。

環境経済学者マーシャル・バークの推定によると、汚染レベルが二カ月低下しただけで、中国国内に限っても、5歳未満の児童4千人と70歳以上の高齢者7万3000人の命が救われた(7)。また、フィンランドの「エネルギーとクリーン・エアに関する研究所(Center for Research on Energy and Clean Air)」の調査によると、欧州では毎年大気汚染で40万人以上が死亡するが、ロックダウンを実施した1ヶ月間には、約1万1000人の大気汚染による死亡が回避されたとされる(8)。

この現状を踏まえて、大気汚染対策がCOVID-19による症状悪化を防ぐための有効手段であるという見方が、いくつかの国の政府では認知されるようになってきている。例えば、5月末に英国の国会議員は、世界各国のエビデンスに基づいて、「大気汚染の減少こそがパンデミック第二波を回避する有効手段である」という超党派の報告書をまとめた(9)。

また、フランスの地方議会の議員ネットワークは、5月初め、フランスにおけるCOVID-19関連死者数が2万5000人(当時)であるのに対して、大気汚染に関連する死者数(肺がん、脳血管発作など)が毎年約6万7000人に上ることから、ロックダウン後に大気汚染を再びもたらすような急速な経済再始動を避けるように提案する請願書を、大統領に対して送っている(10)。

これら一連の記事を読むと、コロナ以後に私たちが構築すべき「新しい日常」は、フィジカル・ディスタンスの維持といった消極的なものであってはならず、都市文明のエコロジカルなトランジションであるべきだということがわかるだろう。

実際に、世界のいくつかの都市では、ロックダウン期間中にその萌芽となる社会実験を行っている。米国のフィラデルフィア、ミネアポリス、チャペル・ヒル、カナダのカルガリー、ドイツのベルリン、ハンガリーのブタペスト、オーストラリアのシドニー、パース、コロンビアのボゴタでは、車道の一部を封鎖し、歩行者専用路や自転車専用路に転換した(11)。

コロナ禍に現れた都市生活の新しい可能性は、地域循環型経済の重要性の高まりと共に、コロナ以後の新しい社会構想の基礎となるものだ。

都市社会のエコロジカルな転換を、格差・排除・監視を克服する協働型コミュニティ経済を基礎にどのように作っていけばよいだろうか。一方で、スペイン政府のように、コロナ危機を理由とする労働者解雇を禁止したり、ベーシック・インカムを導入して、社会連帯の制度作りを行う国のイニチアチブが必要である。他方で、気候危機を始めとする地球環境破壊に対処するための環境政策によってエコロジカル・トランジションを進めることが重要だ。

俯瞰すると、コロナ以後の社会デザインには、社会正義と環境正義の融合による「ポスト新自由主義」というテーマが浮上してくる。その先にあるのは、脱成長・脱開発という文明移行(トランジション)の展望だ。

2020.06.02

参照資料

(1)Damian Carrington, ‘Air pollution  likely to increase coronavirus death rate, warn experts’, The Guardian, 17 March, 2020.

(2)’Coronavirus : la pollution de l’air est un « facteur
aggravant », alertent médecins et chercheurs, Le Monde, 31 mars, 2020.

(3)Emily Holden and Nina Lakhani, ‘Polluted US areas are among worst-hit by coronavirus – putting people of color even more at risk’, The Guardian, 14 April, 2020.

(4)Jonathan Watts and Niko Kommenda, ‘Coronavirus pandemic leading to huge drop in  air pollution’, The Guardian, 23 March 2020

(5)Jonathan Watts, ‘Climate crisis: in coronavirus lockdown, nature bounces back – but for how long?’, The Guardian, 10 April, 2020.

(6)Tobias Jones, ‘After coronavirus, the penny has dropped that wellbeing isn’t individual but social’, The Guardian, 12 April, 2020.

(7)Ryan Morrison, ’Thousands of lives have been SAVED in China since the coronavirus outbreak started, claim scientists after lockdowns drive down air pollution around the globe’, Mail Online, 17 March 2020.

(8)’En réduisant la pollution de l’air, le confinement aurait évité 11 000 décès en Europe en un mois’, Le Monde, 29 avril, 2020.

(9)Damian Carrington,’Cut  air pollution  to help avoid second coronavirus peak, MPs urge’, The Guardian, 29 May, 2020.

(10)« Il serait inacceptable de sortir demain de la crise du Covid-19 pour mourir de la pollution de l’air », Le Monde, 5 mai, 2020.

(11)Laura Laker, ‘World cities turn their streets over to walkers and cyclists’ The Guardian, 11 April, 2020.