ウェブ研究室で紹介するのをすっかり忘れていたが、ちょうど1年前、『日仏経済学会 Bulletin』第32号(2020年)に短い論文を出版していた。
2019年10月19日に早稲田大学で開催された西川潤先生追悼研究会(日仏経済学会主催)での報告論文「豊かさのメタモルフォーゼ──経済の論理から、文化、そして生命の論理へ」を加筆修正して完成させたものだ。
学生時代、西川潤先生からはラテンアメリカの従属理論、アジアの内発的発展論など、世界システムの「周辺」から現れたオルタナティブな開発理論を学んだ。
当時の私は、国際協力という枠組みの中で開発を学ぶことに違和感を持ち続けており、むしろ自分の故郷の生活経験を通して感じていた日本の地域開発や地方の自立の問題の方に関心を寄せていた。
西川先生の講義とゼミナールを通して、主流派開発経済学の視座からは「低開発地域」と呼ばれる〈南〉の社会の研究者が、社会運動に関わりながらオリジナルの発展理論を構築している事実を知った。その根本にある思想は「解放」と「自立」。日本の地方は資本主義の中心の中心であるメトロポリス的生活に憧れてそれを模倣するのではなく、むしろ世界システムの〈南〉から現れるこのような知的格闘から自立の道を学ぶべきではないだろうか。そう考えるようになった。
西川先生自身、自立を求めるこれら〈南〉の民衆の社会的・知的格闘の中に身を置きながら独自の市民社会論を探求していった人だった。その市民社会論の核心にあるのは、各人が内発的な「目覚め(サルボダヤ)」によって社会変革の主体になる──「市民になる(devenir-citoyen)」──という市民連帯の内発的発展論だ。その思想のエッセンスは、最晩年に出版された『2030年 未来への選択』(日経プレミアシリーズ、2018)の中に凝縮されている。
ただ、正直に言うと、学生の頃、西川先生のこの市民社会論には違和感を覚えることもあった。先生は世界システム・レベルであれ、一国レベルの開発問題であれ、「中心―周辺」の権力構造に対する鋭く批判的な眼差しと周辺にいる人々への共感を持って研究をされていた。その一貫したコミットメントは、知識人の在り方として尊敬できるものだ。けれども先生の書かれる文章は、市民社会の深層のディオニュソス的次元をアポロン的理性の言語によって明確に整理しようとする文体をもっていて、そこから零れ落ちていく多くのものがあるような気がして納得がいかないことがあった。市民社会への期待が強すぎるのではないかと思うこともあったし、田舎から出てきたばかりの私には、洗練された教養のある都市的市民のことを語っているような気がして、そこから逃げ出したいと思うことがよくあった。アポロン的市民社会論からの離脱──人間の生活の、言の葉で分けられぬディオニュソス的カオスの闇(感性、情動、狂気、無意識、夢、述語的世界と呼ばれるもの)を理性の光で去勢せずに解放することはできないものだろうか。
私の勉強不足と頑固な性格が手伝って、先生とじっくり専門的な議論を重ねないうちに離れてしまったことを、今では少し後悔している。
その後、自分が直感的に抱いていた学問的問いを言語化してくれる思想を求めて彷徨ったが、ついにセルジュ・ラトゥーシュの思想と出会った。
この短い報告論文では、私の学問の原風景、セルジュ・ラトゥーシュの思想との出会い、そして今後の研究の展望などを、自分自身の知的探求の歩みと対話するつもりでまとめてみた。
大学院時代からそうなのだが、私の研究のスタイルは、一つ一つのエビデンスやデータを積み上げていくようなものではない。むしろ、直観として得られるイメージに導かれて物事を考え始め、イメージがもたらす色や音を言語化していくために必要だと思う様々な学問分野を横断していくなかで問いや答えを連鎖的に発見していくスタイルをとる。目の前に広がる様々な色や音を数珠つなぎで結ぶ言葉を発見した時が、納得した時だ。
そういうやり方でしか研究できないから、上手く形になるまで、一つの対象を様々なアングルから考え、語り、また考えていかねばならない。この短い論文も、そのような過渡期の作品だと思う。学術的価値はあまりないかもしれないが、自分が最近考えていることのエッセンスを素直に書き表しているという意味では、等身大の思考の塊だ。こういう形で一度考えをまとめておかないと、次のステップに進めないことがある。
今後、この論文に書き留めた問題群をどのように探求していくか、少し整理してみたい。
*論文は、日仏経済学会HPからダウンロード可能。
中野佳裕
2021. 4. 4