去る12月15日(火)、出版社コモンズ代表の大江正章さんが肺がんで亡くなりました。享年63歳。食、環境、地域、平和に関する数々の書籍を手掛け、自らも日本やアジアの地域作りの現場を取材する「歩く・見る・聞く出版人」でした。
大江さんと出会ったのは10年前、日仏会館で開催されたセルジュ・ラトゥーシュの初来日講演の時でした。以来、大江さんとは単著、共著、共編著、訳書の4冊の本を出版し、市民講座や大学講義など数々の場面で同じ時間を過ごしてきました。
大江さんと過ごした10年間は、ちょうど私が研究者として独自のスタイルを確立していく時期と重なります。私たちの間には、玉野井芳郎という共通の影響がありました。玉野井さんが残した思索の跡を訪ね、それを現代的に変奏していく作品の制作に共に取り組んだ時間は、何物にも替えがたいです。
そんな大江さんから頂いた大切な言葉があります。初めて一緒に制作した『脱成長の道』(勝俣誠、マルク・アンベール編、コモンズ、2011)完成直後の懇親会の時のこと。同書に私は「脱成長の正義論」という論文を寄稿しました。思想研究を専門とする私は、初めてフィールドワークの真似事のような研究を行い、現場から理論構築を行う試みをしました。当時、もっと自分の専門に特化した方が良いのではないかと悩んでいたのですが、大江さんから次のような助言を頂きました。
「中野君のような理論研究者がフィールドに一歩でも二歩でも出たら、そこから出てくる理論はもの凄く深いものになる。」
博士論文まで行ってきた専門研究へのこだわりを、良い意味で捨てることができたのも、故郷への思いやルーツの感覚を肯定し、一介の生活者として学び問い続けることができたのも、この言葉があったからこそ。大江さんから頂いたこの言葉は、一生の宝物として忘れることはないでしょう。
死は予期せぬときに訪れ、ときに肉親や友との関係を残酷な形で断ち切ります。それは辛く、悲しいことです。
しかし今、私が一番伝えたいのは、感謝の気持ちです。
大江さんとは良い思い出ばかりで、その出版人としての職人気質の仕事振り、現場感覚を重視する活動主義は、伝統職人業の家庭に生まれ育った私にとっては懐かしい魅力でした。その出版人としての哲学の全ては、社名に自らの名前を冠することなく、「コモンズ」と名付けたことに集約されていると思います。
この稀有な出版社を知る人は皆、こう思っているでしょう。大江正章さん、あなたの存在そのものが、私たちにとってコモンズでしたと。
大江さん、お疲れ様でした。そして、ありがとう。Adios!
セルジュ・ラトゥーシュの『脱成長』(白水社クセジュ 、2020)が刊行されて1ケ月が過ぎましたが、この間、著者がフランス語やイタリア語で刊行した過去の著作と照らし合わせながら訳書を何度も読み直す日々を過ごしています。
訳書を読む度に知らされるのが、ラトゥーシュの脱成長論の原点が、開発パラダイムの文化論的批判にあるという点です。彼の脱成長論はエコロジー経済学の一変種ではありません。その理論的地平は、地球環境問題に対する政策論的議論に収まるものではなく、もっと視野の広い人類史的射程から語られています。
「あとがき」でも解説しましたが、その六〇年近くにわたる研究生活において、ラトゥーシュの視線は常に、開発主義がもたらす生存基盤の破壊、ならびに消費社会のグローバル化による生活の均質化と文化の多様性の喪失に向けられています。
かつてラトゥーシュは、1989年に刊行した『世界の西洋化』(L’occidentalisation du monde , Paris, La Découverte, 1989)において、人類学者ピエール・クラストルの「民族文化抹殺(ethnocide)」テーゼを引用しながら、開発とグローバル化が諸文化の社会的想念にもたらす(精神分析学的意味での)〈抑圧〉を分析していました。この事実からわかるように、彼の脱成長論は、消費社会の〈抑圧〉のシステムから諸文化の自律性──持続可能な生活づくりの知恵や技法(アート)──を解放していくことを目指しています。
地球環境問題に関するラトゥーシュの議論は、人類学と精神分析学を援用した文化論的な視座から提出されています。気候危機に対する対案も、機械論的・技術至上主義的な対案に陥らないように、思想史・社会史の双方から様々な目配りがなされています。なかでも開発の犠牲者に対する配慮や連帯感、地域の文化や自治の尊重は、彼の脱成長論の核にある問題関心として、終始一貫してブレません。
昨今、気候変動対策へ向けた国際協調の加速化を求める声が様々な社会アクターから上がっています。人類の持続可能な生存を保障するために各国政府が実効性のある政策を実施することは、もちろん重要なことです。しかし、屡々この種の議論においては、脱石炭・火力発電が声高に主張されても、原子力発電に対する立場は曖昧で、論者によっては原子力発電をパリ協定の1・5度目標達成の手段として部分的ないし全面的に容認する声も出てきています。
訳書を読めばわかるように、原発政策に関してラトゥーシュは、その中央集権的な開発体制、情報の不透明性、潜在的リスクの甚大さを考慮した上で、明確に反対の立場をとっています。また、遺伝子組み換え技術の開発にせよ、原子力エネルギー政策にせよ、科学技術に対する過度な信仰に対して慎重になるべきだと主張しています。
著者は、1995年に『メガ・マシン──テクノサイエンスの理性、経済理性、進歩の神話』(La Mégamachine: La raison technoscientifique, la raison économique, et le mythe du progès , Paris, La Découverte, 1995)という本を刊行していますが、それ以降、「持続可能な開発」の名の下で技術至上主義的な環境政策を追求することの危険性や矛盾、とくにそのような政策が諸文化のもつ知恵や生活の技法を喪失させる危険性について、一貫して懸念を示し、批判し続けています。
では、技術至上主義に陥らずに持続可能な社会へ移行する道は存在するのでしょうか? ラトゥーシュの答えは、Yesです。2001年に『経済理性の非理性──効率性の妄想から慎重さの原理へ』(La déraison de la raison économique: Du délire d’éfficacité au principe de précaution , Paris, Albin-Michel, 2001)を著して以来、著者は近代合理主義哲学と政治経済学を生んだ「北西ヨーロッパ・システム」とは異なる思想の水脈を、ヨーロッパの〈南〉、そして世界システムにおける〈南〉の歴史の中から再発見しようと努めています。
この〈南〉の思想への傾倒は、日本の読者の中ではあまり注目されていませんが、ラトゥーシュの脱成長論の基礎を成すものです。今回の訳書においても、西洋近代とは異なる脱生産力至上主義的な思想文化の中から持続可能な生活の知恵を学び直す道が、第4章を中心に議論されています。したがって、彼の脱成長論は、その最も深層の部分において、世界システムを構成する「近代」の物語構造を「内側からめくり返す(inversion)」戦略を通じて、資本主義的ではない社会への移行を構想しようとしているのです。(ちなみにこの視座は、人類学者デイヴィット・グレーバーの『民主主義の非西洋起源について』以文社、2020、と通奏低音を成すものです。)
ラトゥーシュのこのような立ち位置は特異であり、欧米の通俗的な資本主義批判の潮流からはなかなか出てこないものです。欧米の左派の反資本主義論者の中には、科学技術開発の加速化とその経済・社会開発への応用によって、気候変動を解決しようという考えがまだまだ主流です。
資本主義や消費社会の持続不可能性を、「開発」を巡る様々な問題群を通して見ているからこそ、ラトゥーシュの脱成長論は機械論的な対案を避け、文化の多様性にこだわり、「生活世界の自治」や「地域主義」を中心に議論を展開しているのだと言えるでしょう。
地球と人類の未来を心配し、消費社会から持続可能な社会への移行(トランジション)の構想を模索する若い世代にこそ、この訳書を通じて、文化や地域の自治の視点から地球環境問題に対する向き合い方を学んでほしいと切に願っています。
*脱成長と〈南〉の思想の関係については、中野、ラヴィル、コラッジオ編『21世紀の豊かさ──経済を変え、真の民主主義を創るために』(コモンズ、2016)、拙著『カタツムリの知恵と脱成長──貧しさと豊かさについての変奏曲』(コモンズ、2017)を御参考下さい。
中野佳裕
2020. 12. 14
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