「Cahier 思索日記」カテゴリーアーカイブ

論考「玉野井芳郎の遺産を継承する」

2020年12月に他界した出版社コモンズの編集長・大江正章さん。彼を偲ぶ会は1年後の2021年12月18日に開催されましたが、その際に制作された自費出版の追悼論集『「コモンズ」という希望』に寄稿した論考の著者最終稿を、Researchmapのポータルにアップしました。

大江正章さんと出会ったのは、英国留学から帰国した2008年の春。NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)が関わっていた第2回アジア連帯経済フォーラムの準備委員会に参加したことがきっかけでした。当時の私は大江さんのことも、出版社コモンズのことも知りませんでした。日本の学界にコネクションを持たず、言論界にも疎く、国内の市民運動とも関わりを持っていませんでした。恥ずかしながら、言論誌というものもこの歳になるまで読んだことがなく、岩波書店の雑誌『世界』も、大江さんの推薦で2011年に原稿執筆依頼を受けるまで、その存在を知りませんでした。

海外で研究をしてきたものの、その成果をどのように日本語で発信していけばよいのかわからない。また、致命的なことに、当時の私は6年半の英国生活で日本語を上手く使いこなすことができなくなっており(今でもそうですが・・・苦笑)、日本語で文章を書くための基礎的な勉強を国語辞典を片手にやり直さなければなりませんでした。最初に出版した訳書『経済成長なき社会発展は可能か?』(ラトゥーシュ著、作品社、2010年)を読まれると、そのことがよくわかると思います。

『脱成長の道』(勝俣、アンベール編、2011、コモンズ)の制作をきっかけに、大江さんとは出版活動に留まらず、NPO活動や研究会などでも一緒に活動するようになりました。また、言論界やメディアと関わることに消極的だった私の背中を押したのも大江さんでした。いわば大江さんは私にとって、日本における下積み時代の育ての親とも言えます。

大江さんとは、下記の四冊の本(分担執筆、共編著、単著、訳書)を手掛けました。

私たちを結ぶきっかけを作ったのが、玉野井芳郎の著作です。この追悼論集では、そのエピソードを中心に、大江さんと一緒に取り組んだ作品について語っています。

中野佳裕著「玉野井芳郎の遺産を継承する」大江正章さんを偲ぶ会編『「コモンズ」という希望』2021年出版。*書籍を御希望の方は、出版社コモンズまでお問い合わせください。

中野佳裕

2023. 10. 15.

アーカイヴ:過去の出版物の原稿の公表

この数日間、過去に執筆した原稿を整理していました。その中から入手困難な論文・論考のプレプリント・著者最終原稿を厳選し、Researchmapのポータルにアップロードしました。タイトルは以下の通り。


DPhil論文は、現在でも海外の研究者から時折、閲覧希望の連絡やフィードバックを頂くことがあります。全文は大英図書館のEthOSにアクセスすれば閲覧できますが、ログインできない方もいると思います。そこで要旨だけ、Researchmapに掲載することにしました。

この論文では、当時の英語圏ではあまり知られていなかったセルジュ・ラトゥーシュの脱開発理論を研究しました。フランス語・イタリア語・スペイン語・英語で刊行されていたラトゥーシュの著作や論文のほぼすべてにあたり、その哲学的テーマを明らかにすることで、英語圏の脱開発論をめぐる議論を再フレーミングすることに努めました。その過程で、フランスの科学認識論(エピステモロジー)、現象学(特にハイデッガー以降)、脱構築や精神分析学の影響を受けた政治理論や現代思想を体系的に学ぶこともできました。


現代世界の知的状況から振り返ると、この論文で扱っている思想と社会課題に関しては時代が一周してしまった感が拭えません。当時は新自由主義グローバル化に抵抗するローカル/トランスナショナルな社会運動と、9・11以後に米国が始めた「テロとの戦争」に対する世界的な反戦運動が、世界社会フォーラムを通じて出会い、グローバル・ジャスティスを求める民衆の声が大きなうねりとなって国際社会の表舞台に現れた時代でした。私自身もこれらの社会運動に参加しながら、仲間たちと一緒に「ラディカル・デモクラシー」の地平を広げる政治理論や現代思想を学びました。ラトゥーシュの脱開発論に対しても、当時の私が影響を受けていた政治理論/現代思想のレンズを通してその哲学的テーマを開示するような読解を行っています。

もう15年前の論文なので出版には向きませんが、それでも、(フランス語圏、英語圏における)ハイデッガー研究の動向の調査や鍵概念の解釈に関しては、基礎文献情報を網羅しているという点で、今でも少しは参考になるかもしれません。また論文では師事していたエルネスト・ラクラウの理論は勿論のこと、クロード・ルフォールの政治理論にも相当傾倒しています。ルフォールの理論をメルロ=ポンティの哲学に寄せて解釈している点などは、自分自身すっかり忘れていました。ラトゥーシュの『際限なき正義(Justice sans limites)』(Fayard 2003)の読解のためにレヴィナスの哲学についても研究しました。論文審査では、レヴィナスの哲学の理解が優れていると評価された記憶があります。

いずれにせよ、振り返ると、理論的に詰め込み過ぎている難はあります。現在の私が同じ研究をするなら、ラトゥーシュのフランス語の語彙自体がもつ思想文化的背景や意味の色調(トーン)に注目する、もっとシンプルなテクスト分析をするかもしれません(そう思えるのは、帰国後に翻訳を継続して行った影響が大きいです)。それでもやはり、完成させた時から、著者である自分自身がこの論文を気に入っていて、今日に至るまで何度も読んでいます。


他の日本語の原稿は、商業誌・文芸誌からの依頼に応じて寄稿したものです。その時々の時代状況に合わせてテーマ設定を行い、脱成長を一般読者にわかりやすく伝えると同時に、自分自身の学問的探求も進めるというスタイルを採用しています。

なかでも思い入れがあるのが、文芸誌『Kototoi』(菊谷文庫)に寄稿した「脱成長の美学に関する覚書1&2」です。当時の私が最も関心を持っていたトピックです。特に、物質的想像力とエコロジーに関する論考で試みたことはその後、訳書『〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社、2013)の解説、共編著『21世紀の豊かさ』(コモンズ、2016)所収の拙論(第12章)、単著『カタツムリの知恵と脱成長』(コモンズ、2017)においても考察の対象となっています。

その他、特に好んで書いたのは書評です。学生の頃から文学理論や批評を学んでいた私にとって、「読む」という行為は最も基本的かつ重要な文化的行為です。書くからには可能な限り知的に広がりのある書評を、と心掛けています。


ところで脱成長研究の動向ですが、英語圏で「degrowth」といった場合、エコロジー経済学的な解釈が強くなる印象があります。近年のエコロジカル・マルクス主義における脱成長に関する議論も、英語圏の「degrowth」における解釈の上に発展しています。

私自身はどうかというと、この流行に対して一定の距離を置くように努めています。むしろ、フランスの科学認識論や人類学から発展した「décroissance」を、「政治理論・倫理学」から「感性論」へと転回し、さらにこの「感性論的転回」を通じて広義の「社会デザイン」の枠組みを再フレーミングしていく道を模索しています。

今回公表した原稿を読み直して、改めて自分の思索の跡と立ち位置を再確認できました。

中野佳裕

2023. 10. 9.