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研究者。PhD。専門は社会哲学、開発学、平和研究。社会発展パラダイムを問いなおし、持続可能な未来社会を構想するコミュニティ・デザイン理論の研究を行っている。脱成長、脱開発、トランジション・デザインがキーワード。 Researcher: Areas of specialization are social philosophy and critical development and peace studies. Working on community designing in line with the ideas of degrowth, postdevelopment and transitions design.

『脱成長と食と幸福』を刊行しました


訳者から読者の皆様へ1

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。この度、訳書『脱成長と食と幸福』を白水社より上梓しました。御高覧頂ければ幸甚です。

セルジュ・ラトゥーシュの単著の翻訳はこれで6冊目となります。本書の制作にあたっては、翻訳技術を壱から学び直しました。原文の構文を解きほぐし、一語一語の意味と文法上の機能からくる含意を丁寧に訳出することで、直訳も意訳も避けることができました。訳者解説では、翻訳に際して行った技術的な工夫についても若干触れております。

また、かねてより音読した時のリズムを重視して文章を書いてきましたが、今回は言葉(音)を足すよりも引くことを意識しました。原稿用紙に鉛筆で仕上げた第一訳稿を読み返すと、言葉の息継ぎの場所が過去の原稿とは違っていて新鮮です。

本書の翻訳過程で考えたこと・学んだことの一部は、環境・平和研究会(2024年3月10日)の報告レジュメにまとめています2。関心のある方は Researchmapのポータルサイトから御覧ください。



解説は小生の十八番と言える方法で執筆しました。テクスト分析の手本となるよう、読解の手続きをひとつひとつ開示しています。(構成、文体、全体の色調については、クラシック音楽の楽譜に付されている楽曲解説をモデルにしました。)

読解に関して常々心掛けているのは、著者の思考に寄り添いつつ、その構造を明らかにしながら、テクストの未完の可能性を開いていくことです。

今回の解説では、冒頭を飾るロシ・ブライドッティ(Rosi Braidotti)の引用文に脱構築的読解の痕跡を残しました。ドゥルーズ派のフェミニスト理論家である彼女の著作3を突き合わせることで、本作で奏でられる脱成長の旋律を、フェミニズム幸福論やポスト・ヒューマン倫理、そしてスピノザ的な力能の哲学へと移調(transpositions)できるのではないかと期待しています。

読者の皆様には是非、本文・原註・訳註・解説の間を往復しながら本書の奏でる様々な音色(言葉)の世界を楽しんで頂きたいです。

それでは、楽しい読書を。Bonne Lecture!

中野佳裕

2024.8.29.


  1. このブログの文章は、本書見本を献本先に送付する際に添えた書簡を加筆修正した上で転載したものです。 ↩︎
  2. 中野佳裕「時間論としてのローカリズム:S・ラトゥーシュ『生きる技法としての節度ある豊かさ:幸福、ガストロノミー、脱成長』の翻訳を通じて考える」環境・平和研究会報告レジュメ、2024年3月10日 ↩︎
  3. Rosi Braidotti, Transpositions, Cambridge: Polity Press, 2006. ↩︎

『開発との遭遇』書評論文について

この度刊行された学術誌『平和研究』62号に、アルトゥーロ・エスコバル著『開発との遭遇』の書評論文を寄稿しました。書誌情報は以下の通り。

中野佳裕著「開発言説のトポロジーから脱開発実践の民族誌へ アルトゥーロ・エスコバル(北野収訳)『開発との遭遇——第三世界の発明と解体』新評論,2022年」『平和研究』62号, 2024年, 167-174頁(ダウンロード先:J-StageResearchmap

『開発との遭遇』は、南米コロンビア出身の人類学者エスコバルの代表作の一つ。原書初版は1995年にプリンストン大学出版局より刊行されました。欧米の社会科学では、同書は開発学におけるポストモダン的転回を牽引する重要書として認知されています。刊行直後から様々な論争を呼び込み、今日まで読み継がれてきました。

同書は長い間日本語で読むことができませんでしたが、2022年に待望の日本語版が新評論より刊行されました。この日本語版は、英語圏で2012年に刊行された増補新版(著者による序文が追加)の全訳です。邦訳出版にあたり、著者本人による日本語版序文、東アジア歴史文化研究者マーク・ドリスコル氏の序文、訳者・北野収氏による解説とあとがきが新たに収録されています。豪華な内容です。


エスコバル『開発との遭遇』写真

小生は既に2022年10月に、同書の書評を『図書新聞』に寄稿しました(最終原稿は、Researchmapからダウンロード可能)。この短い書評では、英国大学院時代のエピソードを踏まえながら、本書の学術的な功績と主要な論点をコンパクトにまとめました。

対照的に今回の書評論文では、同書の方法論的な特徴と各章の内容を検証しています。特に著者が採用するミシェル・フーコーの言説分析の方法論とその地域研究への応用について、本書刊行当時の英語圏の学術的背景を踏まえながら検証しています。

論文は『開発と遭遇』のレビューを目的としていますが、伏線として、フーコーの言説分析の解説としても読めるように工夫しました。

英語圏の社会科学でフーコーと言えば通常、後期の作品、つまり『監獄の誕生』(1975)から『性の歴史 第1巻』(1976)で展開された権力論に焦点が当てられます。特にその傾向は21世紀になって強くなっています。要因としては、同時期のコレージュ・ド・フランス講義録が2000年代以降、立て続けに英訳出版されたことが関係しているでしょう。

しかし、フーコーの理論的射程を理解するには、フランスのエピステモロジー(科学認識論)の伝統から独自の言説分析へと移行する初期から中期の作品を読み込まなければなりません。例えば『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『知の考古学』など、「考古学」の名の下で刊行された1960年代の一連の作品のことです。

英語圏の社会科学における図式的な理解では、同時期のフーコーは「権力概念など、社会分析に必要な方法論が未だ確立していない」と否定的に評価されることが多いです。しかし、小生の見解では、だからこそ、この時期のフーコーの著作を丁寧に読むことで、通俗的な社会科学とは異なる、言説分析に固有の認識論的領域を明確に抽出することが可能となるのです。

フーコーの思索活動において一貫したテーマだった「知と権力」の問題を理解するには、ある意味読みやすい後期の権力論から入るよりも、難渋だとされる初期~中期の作品とがっつり向き合う方が、回り道に見えて近道なのです。

特に1969年に刊行された『知の考古学』は、ニーチェの系譜学に接近する『言語表現の秩序』(1971)と合わせて読むならば、フーコー独自の言説概念を社会分析に応用する格好の手引きとなります。彼が1960年代末から70年代初頭にかけて著したこれら一連の方法序説的な著作は、後期の権力論の射程において言説実践に固有の領域を(非言説実践とは区別して)同定する際に重要な役割を果たします。

(余談ですが、以上の理由から、英国大学院の修士課程において、後期の権力論よりも『知の考古学』における認識論を中心にフーコーの研究を行いました。)

したがって今回の書評論文では、『臨床医学の誕生』から『知の考古学』に至る間にフーコーが考察した「言説」「空間」「眼差し」などの概念に注目し、エスコバルの著作においてそれら基本概念がどのように展開しているかを検証しました。

特に『開発との遭遇』では、フーコー的な空間権力批判がポストコロニアル研究における地理的想像力批判と接合しています。この点に注目することで、エスコバルの脱開発論を「開発言説がもたらす空間権力を相対化する研究プログラム」として再評価しました。

また、本書でエスコバルは、後期フーコーの「生権力」や「問題化」の概念も応用していますが、この点についても、開発言説の空間権力批判の一環として検証しました。

いずれにせよ、今回の書評論文では、十八番であるテクスト批評の方法論を用いて専門研究分野の代表的著作の読解法を提示しました。その意味で、小生の名刺代わりとなる小作品だと思います。

読者の皆様に楽しんで頂ければ幸いです。


中野佳裕

2024. 8. 10.