社会の溜めを維持するために

感染症の世界的大流行(パンデミック)は30年から40年周期で起こると言われている。1968年の香港かぜ以来パンデミックは起こらなかったことを考えると、新型コロナウイルスの流行は、ある意味、避けられないものだったと言えるかもしれない。興味深いことに、英国の環境文学者ヴァイバー・クリガン=リードが2018年に出版したベストセラー『サピエンス異変』(飛鳥新社、2018年)(原題──Primate Change: How the World We Made is Remaking Us)に、感染症の流行がそろそろ起こってもおかしくないと指摘する一文があることだ。

そして今回の感染症が終息しても、数十年後には新たな感染症の流行が起こるかもしれない。そしてまた数十年後も・・・。

私が現在最も心配しているのは、今回の新型コロナウイルスの対応で、社会のエネルギーというか溜めのようなものが擦り減ってしまうことである。現代社会は賃労働に基づく労働社会であり、私たちはその中で消費主義以外の選択肢しか与えられていない。そして経済成長優先の政策の結果、労働市場は不安定化し、社会の格差は拡大している。本来は社会の活力や結束が損なわれないように政策を行うのが政治の役割なのに、政治は不公平なシステムを後押ししてきた。今回のパンデミックは、社会的連帯の基盤が弱まった経済社会構造を直撃し、非正規雇用者、一人親世帯、自営業者、芸術家など、周辺化されている人々の生活を直撃している。

今回のパンデミックを何とか乗り切ったとしても、その後に社会の活力や結束を維持することができるだろうか。社会がこのままますます分断してしまわないだろうか。そこに現れるのが国家と市場経済による開発主義であったとしたら、日本の未来はどうなるだろうか・・・。そういうことが心配なのである。

新たな感染症が再びやってくることを想定して、現在の危機をどう乗り切るか、社会の溜めをどう残していくかを考えてみたい。

2020年4月3日